身體知(身体知)9

武道必修化と武道の逆説

尾崎 健次

 平成24年度から中学校で武道の必修化が行われている。伝統文化の尊重や身体技法の習得がそのねらいである。教育の不振に対する起死回生の起爆剤になるようにと、掛けられた期待は大きい。日本武道館理事、三藤芳生氏は「ゲームなど、一人称文化が盛んな今日において、礼に始まり礼に終わる、二人称文化の剣道は大きな教育効果が期待されます。」(『剣窓』H.24.9月号、)と述べている。また、全日本学校剣道連盟会長の西村守正氏は広報、『全学校剣連』で、数学者藤原正彦氏の「惻隠の情とは他人の不幸への敏感さです。—この武士道精神が長年日本の道徳の中核を成してきました。」という言葉を引用して、「惻隠の情が日本独得の文明であるとして情緒的側面を力強く説かれるのは正に痛快であり、わが意を得たりである。」と記している。

 そもそも武道とは斬る、打つ、突く、投げると言った対人殺傷技術の修練が目的である。その技が修練の度合いを極めれば「一撃必殺」の理想の形をとる。その絶大な威力の修練を通して、「人間の生きる知恵と力を開発する技術の体系」を学ぶことである。言い換えれば「剣の理法の修練による人間形成の道」。それは大きな逆説的作用の習得である。一つ間違えれば、相手の身体を損なう凶器ともなり、柔道では、その危険性が声高に叫ばれている。「切人刀」と「活人剣」の際どい使い分け、それが武道の最終的な修業の目標である。それを中学生に必修で教えると言う。これは、武道にとって大きな試練である。学ぶ者の真摯な態度と指導者の強い熱意、責任感、高度な技量が要求される。

 私の50年近くの剣道経験の中での一番大きな成果は「打たれると痛い」と言うことを身を以て体験したことである。それだけ人間の身体は脆いと言うことであり、自分の身体はもちろん、他人の身体も大事にしなければならないと人一倍思っている。しかし、普段の稽古では、自分より上位の人に対しては全力で掛からなければいけないと思うと、ついつい、ムキになった強引な打ちになってしまう。欲でなく、自然な打ちか?本当に難しいと思う。

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