足捌きと「万里(理)一空」
尾崎 健次
碧南市剣道連盟は今年になって昇段が続き、誠に結構なことです。不肖私も、これを機会に、日頃の剣道に対する「気づき」をメモとして残して置きたいと思います。もし、よろしければ、一読、参考にして頂けたら、光栄に存じます。
相手との間合いが正確に体感できたら、自分の立ち位置が正確に認識できたら、後ろに眼が有ったなら…。剣道人なら誰でもが願うことであり、その習得が日々の練習であり、苦労である。それを効果的に習得するための、一見結びつかないような練習方法がある。日本剣道形である。
師の受けによる、正確な立ち位置、足捌き、間合い取り、剣捌き、体捌き、目付。その正確で自在な空間の処理の訓練が、全身を眼にする、触覚にする。相手との間合いの攻防の中での絶対優位な空間支配。
早くから剣豪宮本武蔵は兵法三十五箇条およびその禅的な境地を詠んだ和歌で次ぎの様に言っている。「山水三千世界を万理(里)一空に入れ、満天地とも契る」という心を題にして、「乾坤をそのまゝ庭と見るときは我は天地の外にこそ住め」(この歌はいろいろな人が引用されていますが、私は吉川英治の『随筆宮本武蔵』でしか確認していません。)のこの「天地の外に住む」という見方が、上空からの俯瞰であり、車のアラウンドビューモニターの映像のような、訓練によって「幽体離脱」し得た最強の視界である。これが、視覚の訓練からは想像もできない形の足捌きの稽古で身につくそうである。理屈ではない脳の働き、一事は万事に通ず。形の足捌きと宮本武蔵の「万里(理)一空」が通じるかどうか?かなり大胆な見解であるが、そう考えても修行の妨げにはならない。関心のある人はその気になって、剣道形の稽古を試みてみてはどうでしょうか。