身體知(身体知)7

面白さと愉しさ

尾崎 健次

 剣道のどこが面白いか?我ながらよく50年近く、3Kと言われる剣道を続けてきたと思っている。小学生もかなり厳しい稽古をこなしているし、女の子も結構、男に負けないくらい剣の修業に打ち込んでいる。

 剣道の面白さは身体技法の習得にある。できなかったことができるようになる。素早く力強い打ち、高度な技、滑らかな動き、乱れないリズム、疲れない体、鋭い反応、不動の胆力。修練の量、質によって、自分の未知の身体との出会いがある。身体技法はダイレクトに感性を刺激する。力強さと美への憧憬、探求。

 しかし、本人が真に面白いと思ってやっているか。言われるままの、従属、他力本願の姿勢はないか。いやいややらせられる苦役や肉体的苦痛に支配された「服従する主体」(『呼吸入門』齋藤孝著)になっていないか。自己の主体性、創造性を失った格闘技者はできの悪いロボット、飼い慣らされた家畜の様なもの。見るも哀れ、武芸の持つ雄渾な美しさ、身体技能の持つ絶妙な美しさはみじんも感じられない。主体性の喪失は身体能力の著しい低下を招く。指導者の指導や親の期待が子供本人にとって、過重になっていないか。基準は子供の能力アップ(決して一時の成績ではない)である。真の主体性が発揮される時は、精神が高揚し、想像的造形力によってインスピレーションが発動し、多彩な閃きによって、相手を活殺自在にコントロールできる共身体の世界を作るのである。脳と心理は表裏一体。脳は面白いと思う時しか、活性化しない。「守破離」の「離」は上達の大原則である。

 指導と過重な負担の境目は極めて曖昧。指導者自らの、子供たちへの責任ある日常普段の検証が求められる。指導者自らが、剣道の伝統を引き継ぎ、長年の修業に裏付けられた剣道の面白さを体現する必要がある。何が面白いか、愉しいか?それは身体が求めて悦ぶ身体知。最近、剣道の修業で新境地を開かれた70過ぎの先生が、「剣道のお陰で仕事の動きが楽になった。」とおっしゃておられた。その年になっても健康で剣道を楽しんでおられる。恐るべし、老練の身体。

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