内田樹的剣道「身体知」論

尾崎 健次

1 五十年続けた剣道に苦戦

 

「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である。」

(全日本剣道連盟 剣道の理念)

 

 小学校の部活で始めた剣道であったが、五十八年続いている。好き勝手にやった剣道であったが、それなりに本気になり、試合では成果も出た。しかし、五十年近く続けた時、一般に最終目標とされる七段に合格できない。それまで気合や勢いだけの剣道で、正統派の剣道を師に就いて学んでこなかった罰と言えよう。いわゆる「旦那芸の苦しみ」(素人が芸の修得に苦労すること)しかし、組織の役員という立場もあり、周囲の合格者の顔ぶれを見て、安々と諦める訳にはいかなかった。

2 私と剣道との出会い

 剣道は小学四年から始め、初めは腕白少年の暴れる場所として始めたものであるが、たまたま、剣道の盛んな地域であったために、その後、中学、高校と続けた。しかし、剣道専門の先生に就いて、本格的に、厳しく指導されたわけではなく、年長者のやり方を見よう見まねでやりつつ、仲間同士で自由気ままに動き回ていただけである。中学でも部活動として続け、仲間同士の遊びの延長として、楽しさ優先の活動をしていた。3年時に部活指導の熱心な先生(剣道の専門家ではないが)が赴任して来られ、その先生の励ましを受け、県で団体優勝という思いがけない栄誉に浴することがあった。
 高校も地元の高校にメンバーの内3人が一緒に入学し、他地区の有力メンバー、先輩、後輩も集まって、盛り上がっていた。丁度そのころ、テレビで森田健作主演の『俺は男だ』が放送されていて、青春ドラマさながらの楽しさがあった。仲間内の、純粋に打ち合いだけの世界で、勝つか負けるかがすべてであった。外部からの強い指導や干渉もなく、出稽古、遠征もなく、ただ、その高校だけで自由にやっていた。高校3年の春の大会では、地区予選ではぎりぎりの通過であったが、県大会では並みいる強豪校が脱落する中、我がチームはしぶとく勝ち残り、決勝では乾坤(けんこん)一擲(いってき)、大勝負をものにして、再び優勝の栄光を手に、全国大会出場を果たした。自分としては驚くべき強運を味方に付けたものだと喜びに浸るのもつかの間、受験の息抜きにと思って行ったスキーで骨折、3か月の入院を余儀なくされ、その年の入試は棒に振ることに…。「天運」が大きいと「税金」も高いものである。人生の明と暗の落差を身に染みて感じた。

3 高校教師としての剣道の指導

 その後、大学に入ってからは、秘かに憧れていたマスコミへの道ははるか遠くにあり、手近な目標として、高校教師を目指した。高校生の頃は考えもしなかった教職であったが、好きな文学と剣道が同時に仕事としてできることが魅力であった。
 運よく採用され、最初の赴任校から期待通りの文学と剣道の二本立て生活を送り、若さと情熱を注いだ。それなりの成果はあったが、今一つ、自分が期待するような反応が得られない。競技が激しくぶつかり合うものだけに、予想外の反発や誤解も生ずることもあった。
 同時に剣道家として、自分の技量向上のために試合や昇段試験にも挑んでいたが、なかなか思うように行かなかった。我流でやって来た剣道では、七段の昇段審査には通用しなかった。挑戦することが長期にわたり、一割を切るような合格率では、まぐれか奇跡でも起きない限り、無理かなと思うこともあった。
 そんな時、文学、教育関係の興味から読んでいた内田樹氏の著作の中で、『私の身体は頭がいい』に出会ったのであった。以下は私の拙い剣道体験に基づいた内田樹の「武道理論」のまとめである。

 

* 内田 樹(うちだ たつる、1950年9月30日生 )は、日本のフランス文学者、武道家(合気道凱風館館長。合気道、居合道、杖道を修錬)、翻訳家、思想家。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学人文学部客員教授。専門はフランス現代思想。「身体知」とは武道的な用語で、身体を通した知性の考察という意味。『私の身体は頭がいい』『身体で考える』『死と身体』『日本の身体』『武道的思考』『修行論』『武道論』等。

4 武道修錬の目的

 先ず、武道修行の大前提としての目標が述べられている。稽古の技術上の課題の「意味」と修行の究極の「目的」とを統一的な枠組みのうちで語ってくれる指導者に出会うことが出来なかったが、それを与えてくれたのが、合気道の師、多田宏先生である。その中で一番重要な知見が武道修行の「絶対的目標」とそのための「絶対的稽古法」が存在するという確信である。
 武道を本当に発達させた内在する道(法)と言うのが、いわゆる武士道的なものではなく、「人間とは何か、宇宙とは何か」という世界観、生命観に根差した心身統御の技法である。講道館柔道の加納治五郎を除くと過去の伝書には『猫の妙術』等があったが、これは閉鎖的、イデオロギー的、教義的で武道に科学性が欠けていた。身体技法としての武道は、「武士道」や「忠君愛国」のような、ある歴史的状況に固有の社会的価値観との関連だけで理解できるものではない。それ故、明治維新以来、武道は先ず近代化の波に呑まれ、衰微するという形で危機を迎え、次いで軍国主義的イデオロギーに功利的に利用されるという形で第二の危機を迎えた。しかし、武道の不幸はそれだけでは終わらなかった。近代化を生き延び、軍国主義をも生き延びた武道がその次に遭遇したのは、スポーツ化、競技化という試練であった。
 このスポーツ化の過程で、単に軍国主義的なイデオロギー色の除去ばかりではなく、重大な稽古方法の変更が導入された。それが武道に質的変化をもたらしたのである。その一つが、呼吸法、瞑想法、練丹法など心身錬磨の基礎的方法であり、いま一つが「形稽古」の二つの軽視である。(形稽古には驚くほどの身体感覚を養う効果がある。私自身、日頃ご指導頂いている先生と刃引きでみっちり剣道形の稽古をしていた時、知らない内にバランス感覚が身に付き、綱渡りでもやってみたくなるほどであった。)
 スポーツ化、競技化は「試合」の強弱勝敗を通じて、客観的に軽量化可能、判定可能という前提を採る。その競技性、遊戯性の強調は、武道修行の本質的要素である「勝負法」の稽古の忌避である。
 「勝負法」とは何か。「実戦のシミュレーション」とは程遠い「形稽古」のことである。この「形稽古」に「武道は勝つことを欲望する主体の廃絶を目指す」武道の根本原理が込められている。『老子』第三十一章に「兵は不祥の器にして、君子の器に非ず」(武力とは不吉な道具であり、貴人の用いるべきものではない)「勝って而も美とせず。之を美とする者は、是、人を殺すことを楽しむ也」(勝つことは栄光ではない。勝利を喜ぶ者は人を殺すことを快楽としているのである)それゆえに「勝利することを喜ばないような闘争主体」を作り上げることを究極の目標とするような身体技法の体系そのものが、武道というものである。
 しかし、武道修行の目的はあくまで効果的な防衛と敵の殺傷にある。しかし、まさにその「勝つための」技術的努力そのものが、結果的に「勝つことを求めない」という武道の自己否定を導き出すことになるのである。この逆説を「居着き」という技術的な問題に即して論じることができる。

5 「非中枢的身体」 

 「居着き」とは文字通り足の裏が床に張り付いて身動きならない状態を指す。心理的なストレスによる身体能力の極度の低下である。柳生宗矩(やぎゅうむねのり)は『兵(へい)法家(ほうか)伝書(でんしょ)』の中で「居着き」を「病(やまい)」と名付けた。「病」とは「固着すること」である。意識がある一点に集中し、凝縮し、身体的に兆候化すること、それが「病」である。
 宗教的な視点から宗矩に武道の極意を説いた『不動(ふどう)智(ち)神妙録(しんみょうろく)』では同じ主題を次のように論じている。 
 「うちこんでくる刀を見て、それに合わせて反撃しようとすると、相手の力に意識が固着して、自分の動きが相手に筒抜けになってしまい、切られてしまう。これを(とまる)というのである」心に思ったことが身体に兆候化するのは「意識から身体へ」という運動指令の回路(中枢神経)が存在するからである。
 当然のことであるが、「居着き」と「起こり」は同時に生じる。それを取り除くには「中枢からの指令抜きで、手足を動かす」ということである。沢庵はこの「非中枢的な身体運用」を「石火の機」という言葉で言い表している。「石火の機」とは火打ち石を打つと瞬間的に火花が散って、打つ動作と発火の間に何の隙間もないさまを指す。これは意識が固着する間がないことの比喩である。柳生宗矩は人形の動きに喩え、「起こり」がない、すぐれて武道的な「速い」動きと言っている。沢庵(たくあん)禅師(ぜんじ)は「案山子(かかし)」と言って、「かかし」を武道的身体の理想としている。「名人の境位に達すると、身体がなすべきことを覚えていて、意識の介在が不要となる。身体は動くが意識はどこにも固着せず、無念無想の田んぼの案山子のような境位になるのである。」これが「無心の打ち」というものである。
 中国古代思想の『荘子』にも「木(もっ)鶏(けい)」の逸話がある。何日経っても、攻撃的で、敵を探して威嚇することに夢中な闘鶏が、やっと四十日にして、ついに仕上がる。遠くから見るとまるで木で作った鶏のようだ。力が完全なものとなった。他の鶏はあえてこれと敵対せず、背を向けて走り去るだろう…と。
 これらの逸話は同じ主題を巡っている。敵を忘れ、我を忘れ、闘うことの意味を忘れたときに、戦う者は最強となる。武道における技術的完成は「勝つこと」を欲望する主体そのものの消滅を要請する。これが武道の「自己否定」という逆説である。

6 胆力をつける

 居着き、起こりのない最強の武道的身体を獲得すること共に求められる課題は何か。それは「胆力をつける」ということである。生物は「びっくりする」とその身体能力が急激に低下する。どうしたら驚かないようになるのか。これが矛盾しているようであるが、「驚く」ことによってである。もし、世界に驚天動地の大事件が起きた時に「驚く人」と「驚かない人」とどちらが「肝を潰す」ことが少ないか。当然、「驚くこと」に慣れている人間である。この人にとって、「驚く」ことは主体的、能動的に選び取られた世界とのかかわりの基本姿勢だからである。胆力をつけるというのは「危地に臨んで肝を潰さない」ための訓練のことである。私たちが学問研究し、武道の稽古をするのは、煎じ詰めれば、「胆力をつける」ためである。武道の稽古では「命がけの局面」というものを想定して、繰り返しシミュレートする。その体験を創造的に身体に馴染ませてゆきながら、生き延びる技術として修得するのである。
 危険とは自己にとっての対立である。特に強い相手は我が身の生存を脅かす。いつも逃げていては、技術は向上しない。対立を対立したままに両立させることが武道的な動きの修行である。(懸待一致)
 「矛盾」という古語の原義もそこにあった。強い矛と盾の存在があって、それぞれの武具の進化があった。武道の修行も、相手という自分とは別物との共身体を構築することにある。(敵を知り、己を知らば百戦危うからず)

7 「天下無敵」の身体

 「天下無敵」という言葉には二通りの意味がある。「世界で俺に適う者は誰もいない」という意味以外に「どのようにして敵を作り出さないか」という予防的配慮という意味である。この後者の意味を理解するためには「武道は護身術ではない」という根本原理の理解から始めなければならない。野球やサッカーで負けても、死ぬ人間はいない。だが、武術の場合は、原理的に言えば、負けることはただちに死ぬことを意味する。だから、武術は「何があっても生き延びる」ということを究極の目的にしているはずである。護身術としてとらえる人々は、ある時、「暴漢に襲われたら」、あるいは「ナイフで切りつけられたら」という「想定内」の対象にのみ状況を限定している。しかし、真に重要なことは「想定外の状況」にどう対処するか、これこそが武術的な問なのである。敵とは誰のことなのか。敵とは「対戦相手」に限定されない、自分の身体的パフォーマンスの最大化を損なうもののことである。加齢や病気や天変地異などの場合がある。どんな災疫が起こっても、できるだけ心身のパフォーマンスを下げないことが重要である。そのような事態に備える心のあり方というものを、夏目漱石の言葉を借りれば「非人情」の資質と言う。『老子』の中にも「すぐれた武人はたけだけしいかたちをつくらない。すぐれた戦士は怒気を表さない。よく勝利するものは敵をつくらない」とある。武術、とりわけ体術の場合は、相手とどのように一体化するかということが優先的な技法的課題となる。敵味方という二元論の枠組みを「揚棄(ようき)する」ということである。「自分の攻撃と同調し、それを加速する敵」という「想定外」に持ち込むことである。合気道では相手に手首を握られて、動きを制された時どうするか。手首を握ってくる相手の「手の内の締め」に逆らわず、それと同じ方向に手首を旋回させることである。相手が抱く想定外は「居着き」である。相手が居着いた後の運動主体は私でもなく、敵でもない。私と相手が触れ合うことによって成立した私と敵を共に含む「複素的身体」(複合体)でなければならない。

8 「複素的身体」

「複素的身体」というのは主客複素的な運動態が出来上がるプロセスのことである。物理学の用語で「流れが整う、波形が同期する」という意味である。前出の『兵法家伝書』に次のような記述がある。「合う拍子はよろしくない。拍子は合わない方がよい。拍子に合うと、敵の太刀は使いやすくなる」立合いにおいて「拍子を取ること、あるいは相手に拍子を取らせない」ことは喫緊(きっきん)の技法的課題である。私たちは「主体ー敵」の二元論スキーム、つまり「天下あまねく敵」から抜け出し、「天下無敵」という他者との複素的身体を形成しなければならない。
 高等動物には、他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように「鏡」のような反応を示すことがある。このような脳の神経細胞の働きをミラーニューロンという。これを形稽古で徹底的に身に着けることによって、他者との同期、同調、私の他者化という複素的身体を形成することができる。
 武術は古くは「弓馬の道」と称され、「刀槍の道」とは言わなかった。敵と対峙しない弓術においても、「人間ならざる」ものと組む馬術においても、「敵がいない」ことを初期条件とする複素的身体の成立が、最大の要件である。(剣心一体)

 9 「響く身体」

 勝負に臨んでトランス(高揚した心理状態に)できる体質は重要である。剣道の場合、裂帛(れっぱく)の気合を出すという方法がある。身体の感度を最高度に上げ、身体を細かく割り、他者から送られる響きを聴き取る。自分の波長と相手との波長とが共振共鳴する「響く身体」を持つことが、非中枢的、融通(ゆうずう)無碍(むげ)、「無心」の動きを生み出す。「それ、剣は瞬速、心、気、力の一致」(千葉周作)とあるように、心のトランス、呼吸、共振共鳴、体術(床を左足で全体重を乗せて蹴ることによって発生した力を、脚から腰、背中、両手を通して竹刀の物打ちに伝え、両手の手の内の「斬り手」から「止め手」のエネルギーの向きが変わる瞬間の、物打ちから竹刀を伝わり両手から身体の内側に流れ込み、胴を貫いて左足裏から床に「放電」するようなすり足)のうちに、圧倒的な「勁(けん)」のエネルギー(瞬発力)として「神武(しんぶ)」が顕現(けんげん)するのである。身体は竹刀への力の良導体である。(気剣体の一致)

10 運と税

 『私の身体は頭がいい』の内田理論のお陰で、程なく念願の七段に合格できた。氏の身体を言語化した理論はすばらしく効き目がある。しかし、私自身は合格の2年後、黄斑(おうはん)円孔(えんこう)という重い眼病を患い、視力が急激に衰え、2週間の手術入院を余儀なくされた。退院しても元の視力に戻るためには3年はかかると言われ、しばらくは半眼の剣道であった。
 しかし、七段合格と同時に、内田氏の影響もあって再開した居合のお陰か、身体の「奥」が分かりかけ、応じ技も少しずつ決まるようになって来た。今まで秘かに目標にして来た全国健康福祉祭(通称「年輪ピック」)の愛知県予選で優勝。全国大会でも、団体ベスト16という栄誉を手にすることができた。が、喜びもつかの間、次は農作業で患ったぎっくり腰の無理を押して行った白山登山で、脊柱管(せきちゅうかん)狭窄症(きょうさくしょう)を発症し、一時は歩行困難になるほどの惨劇を味わった。文字通り、「禍福はあざなえる縄のごとし」天運には重税が伴うことを痛感した。
 内田氏は学術、武道において、超人的な活躍をされている人であるが、その先生の痛切な身体実感として、「人間は打たれると痛い」「投げられると痛い」という身体の特性を重要視されている。「生身は疲れ、飢え、傷つき、壊れるものであ。しかし、この可傷性、有限性、脆弱性が『生身の手柄』である」。この「手元の有限の資源をどう使い回すか」というのが身体的な問題の立て方であるが、近代の文明社会は、身体の自然性を排除し、脳の暴走を許し、様々な歪みを引き起こして来た。武道における精神主義が修行の大きな妨げになっているのである。
 武術とは人間的パフォーマンスを最大化する技術である。氏も毎朝、ご自分の道場で、行を勤められているそうだ。武道を修行すれば、末人(まつじん)(ニーチェのいう最低の人間のこと)でも凡人になれる。凡人でも才人になれる。才人なら超人になれるかも…。私の身の回りにも、七十五過ぎてもバリバリに剣道をやって見える方が沢山みえる。私も七十近くになり、思い切り勝負に挑める楽しみを享受し、老若男女の様々な剣風と交わりながら、健康に留意しつつ、できるだけ長く稽古を続けて行きたいと思っている。

 

 剣道指導の心構え(生涯剣道)

 剣道は、世代を超えて学び合う道である。「技」を通じて「道」を求め、社会の活力を高めながら、豊かな生命観を育み、文化としての剣道を実践していくことを指導の目標とする。

(全日本剣道連盟指導要領より)


全日本年金組合岡崎支部 文化教室 季刊文化誌「ひろば」第51(春)号 2022年4月に掲載

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